PROFILE

TOKITA YUKI IDEAS

時田侑季 Tokita Yuki

アートディレクター・デザイナー

株式会社Imaginarium代表
TOKITA YUKI IDEAS主宰

フリーランスのデザイナーとして活動後、2008年に株式会社Imaginarium設立。

「小さな会社のクリエイティブ・ディレクター」をコンセプトに掲げ、すべての人にとって快適でわくわくするクリエイティブの提供を目指して、企業の広告やロゴマーク、グラフィックデザイン、コミュニケーションデザイン、Webサイト、映像などの企画制作を手がける。

2014年 朝日広告賞グランプリ受賞。
アートスクールなどでのトークイベントやセミナー講師の登壇実績多数。
2016年 ブランディングデザインサービス「PLATINUM DESIGN(プラチナ・デザイン)」開設。

さまざまな分野のひとたちと、有機的につながり、世の中を少し良くしたり、楽しくしたりするようなプロジェクトを生み出す、組織ではなく、自由で風通しがよい、ゆるやかでオープンな「場」の創造。枠にとらわれないフレキシブルなクリエイティブを目指す。

 

これまでのこと。これからのこと。

はじめまして。時田侑季です。

さて、私は、2000年頃よりフリーランスのデザイナーとしての活動をスタートし、2008年に株式会社Imaignarium(イマジナリウム)を立ち上げました。

職業は、アートディレクター、デザイナーですが、実際のところは経営者もしてますし、時々映像もつくるし、コピーも書くし、コンサルティングもやっています。

ひとことで言うと、企業のクリエイティブに関わるさまざまなことを手がけています。

かれこれ20年近くこの仕事をしているわけですが、それはもう、山あり谷あり谷あり崖ありで、あちこち怪我して数え切れないほどの傷を負い、時に満身創痍になりながら、それでも気づけばずっとこの仕事を続けていました。

こう書くとなんだか意志の強い人間みたいですが、実際のところはちょっと違います。

そもそも私はデザイナーを目指していたわけではなく、実際にデザイナーになるまで、自分がデザイナーなるなんてことは微塵も考えたことがありませんでした。

 

私は、これまでの人生で会社に就職した経験がありません。
大学中退→フリーター→フリーランス→会社経営者、という荒技力技で今に至ります。

今となっては、人生で一度くらいはボーナスというものをもらってみたかったとか、社内恋愛なんてものも経験してみたかったとか思いますが、どういうわけかこれまでの人生で、「企業に就職する」という選択肢は、私の中には1ミリもなかったのです。

それは、会社勤めをしている自分がまったく想像できなかったからですが、もしかしたら「向いていない」ということだけは、潜在意識でわかっていたのかもしれません。

 

子供の頃から絵を描くのが好きで、小学校に上がる前から絵画教室にもずっと通っていましたが、高校時代に出会ったビデオアートの影響で、映像をやってみたいとなんとなく思い、美術大学に進学しました。

しかし、美大というところはそもそもアーティストの卵がわんさかいる場所で、みんなが「表現」というものを日々探求しているわけです。

そんな中で、さしたる目的もなく、やりたいことも漠然としていた私は、クレバーで視野が広くて、技術もノウハウも哲学も持ち合わせた素晴らし過ぎる同級生たちを目の当たりにして、頭をハンマーで殴られたようなショックを受けたのでした。

自分が才能もなくつまらない人間に思えて、入学してから半年も経つとすっかり大学から足が遠のくようになりました。

そうして当たり前のように留年が決まり、やがて同級生たちが軒並み就職を決めていく中、2度目の留年が確定した頃、頭でっかちで世間知らずでへなちょこだった私はすっかりうらぶれて、「表現などというものからできるだけ遠く離れたい」と宣い、大学を辞め、4年間続けていたアートホール&ギャラリーのバイトも辞め、退学の事後報告に激怒した両親から勘当されて、東京砂漠に一人放り出されたのでした。

今思うと、だいぶ青臭くて、こじらせていたなと思います。

とりあえず、生きていくためには働かねばと、新宿にある文壇バーのような小さなお店でウェイトレスをやったり、「おばちゃまはねぇ」でおなじみの今は亡き小森のおばちゃまのお店にお世話になったり、時給に目が眩んで銀座でホステスをやっていたこともあります。

完全に自分を見失っていたとしかいえません。

自分が何をやりたいのか、何ができるのか、まったくわからずに、ただ闇雲に自分探しを続けていたわけですが、唯一の救いは、どの仕事もとても楽しかったことです。

そうはいっても、朝寝て夕方起きてバイトに行く、という生活スタイルを続けているうちに、「お天道様の下で働きたいな、、、」と、まっとうな人間であれば誰もが思うであろう健全な生活への憧れがふつふつと湧き上がった私は、ついに夜型生活に別れを告げ、広告代理店にテレアポのアルバイトとして潜り込むこととなりました。

しかしその会社、広告代理店の看板を掲げていたにも関わらず、社内にデザイナーもコピーライターもおらず、どう見てもセンスのかけらもない営業部長や課長が片手間に紙面のデザインをし、事務の女の子が経理仕事の合間にコピーを書くという、思わず「消費者なめんなよ」と言いたくなるようなブラック&ワイルドな職場でした。

そんな無法地帯でしたので、ある時「お前、美大出身なんだから、デザインやれ」という社長の一言で、広告デザインの経験もないただのテレアポバイトの私が、紙面デザインを一手に引き受けることになり、図らずもこれが私のデザイナーとしての出発点となったのでした。

人生って本当に面白いなって思います。

美大で芸術活動に挫折し、「表現からできるだけ遠くに離れたい」と思っていた私ですが、自分がつくりたいものではなく、誰かのためにモノをつくるという仕事、クライアントの要望をカタチにする商業デザインという仕事は、ある意味性に合っていたのだと思います。

大変なこともたくさんあり、もうダメだと思ったことも1度や2度ではありませんでしたが、この仕事を辞めようと思ったことは、なぜか一度もありません。

理由はいろいろありますが、一言でいうと「仕事が好きだったから」だと思います。

 

さて、“これまで” の話が思いのほか長くなってしまったので、“ここから” はだいぶ端折りますが、紆余曲折てんやわんや云々があって、2008年の冬、私は「イマジネーションが生まれる場所」という名前の会社をつくりました。

イマジネーションこそが、未来を面白くする唯一のツールと信じて、
イマジネーションを原動力に未来を面白くする会社にしようと思いました。

あれから10年が経ち、あの時考えていた理想とはちょっと、いや、だいぶかけはなれてしまってはいるけれど、それでもなかなか面白い人生だなと思います。

私は、デザイナーとしてはアウトサイダーだと思っています。

(ちゃんとした)広告代理店やデザイン事務所で働いていた経験はなく、すごいデザイナーやクリエイターから学んだわけでもなく、ほぼ独学で、いわゆるメインストリームの仕事をしてきたわけでもありません。

でも、だからこそのつよみがあると思っています。

インディペンデントであること。

それがずっと私が仕事をしていく上での指針のようなものでした。
アイデンティティといってもよいかもしれません。

インディペンデントであるからこそ、同じように何もないところから自分ひとりで新しい価値観を生み出そうとしている人や、大きなチャレンジをしようとしている人の力になれると思っています。

 

つたえること。つなげること。

 

つたえること。つなげること。

私の仕事は「つたえること」と「つなげること」です。

ヒトとヒト、ヒトとモノをつなげるための
大切な思いやメッセージを伝えるための
コミュニケーションをデザインすること。

世の中を少しだけ素敵にしたり
誰かの生活を少しだけ豊かにしたり
未来を少しだけおもしろくするような
クリエイティブを生み出すこと。

それは出産にもちょっと似ていて
自分の中でアイデアの種を大切に育て
うれしいこと、たのしいこと、痛みや苦しみ
いろんな感情をあじわって
この世界に生まれ落ちてゆくものには
希望がたくさん詰まっています。

そうした希望のかけらを
これからも必要な人に届けていきたいと思っています。